Meisei Gakuen School for the Deaf

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教育理念・方針明晴学園は、「考える子ども」を育てます。自分自身の生き方を考え、自分らしく生きることのできる子どもたちです。

基盤としての手話

考える力のみなもとは、ことばです。手話ということばです。

これまでの日本のろう教育は、手話を言語とみなしてきませんでした。手話は単純なジェスチャーの集まり、言語以前の原始的なコミュニケーション手段と捉えていたのです。しかし手話は人間が使う数千の自然言語のひとつであり、日本語や英語とおなじ力を持っていることが言語学や脳科学によって解明されてきました。2011年に成立した障害者基本法は、第3条で手話を言語と認め、文部科学省も2008年、明晴学園の設立にあたって手話による教育を公式に認知しています。手話による教育は、日本語による教育と本質的におなじ成果をあげることができます。

明晴学園は、子どもたちが学校生活のすべての場で自然言語としての手話を使い、手話によって考え、学び、成長するところです。

口話法を離れて

多くの聞こえない子(難聴児、ろう児)にとって、音声をもとに日本語を獲得することは困難です。

聞こえない子に、耳から言語を習得させようとする口話法(聴覚口話法)は、自然な言語の獲得を阻害するだけでなく、子どもの正常な発達をも妨げるおそれがあります。明晴学園にかかわる多くの成人ろう者は、口話法と、口話法にもとづく過去のろう教育の深刻な被害を受けてきました。そして口話法を離れ、新しいろう教育を実現したいと明晴学園を設立しました。

聞こえない子は耳ではなく、目で言語を獲得します。周囲に手話があれば、乳幼児はいつのまにか、自然に、手話を第一言語(母語)として獲得します。ちょうど、聞こえる子がいつのまにか、自然に日本語を覚えるように。乳幼児の脳はそうすることのできるすばらしい力をもっています。ろう児の場合、そのすばらしい力は、まぎれもなく手話という言語において発揮されるのです。

耳が聞こえなくても、乳幼児が自然に手話を身につけ、「人間のことばの世界」に入り、聞こえる子と変わらない成長をとげる過程が明晴学園では当然のこととして実現されています。

障害を超える手話

手話は、たんに聞こえない子の自然言語であるにとどまりません。子どもの人格を形成し、自己の確立をもたらします。

明晴学園の子どもは、「耳の聞こえない子」ではなく「手話を使う子」です。私たちは聞こえないことをネガティブな視点からみるのではなく、手話を使うというポジティブな認識で捉えます。そして手話という言語をたいせつにし、その手話を基盤とするろう文化をたいせつにします。こうした環境のもとで子どもたちは自然に、「手話の子」としての自我を確立します。

明晴学園には、障害の克服というテーマがありません。手話のコミュニティでは、聞こえないということが「障害」ではなくなってしまうからです。

手話からバイリンガルへ

聞こえなくても手話さえできればいいというものではありません。日本の社会で自立するためには、日本語の読み書きの力が必須です。手話という第一言語をもとに、第二言語として日本語の読み書きを学ぶのが、明晴学園のバイリンガル教育(二言語教育)です。

手話と日本語のバイリンガル教育のために、私たちは「ハルミブック」や「手話ゲーム」、「日本語ゲーム」など独自の教科書や学習プログラムを開発してきました。明晴学園のバイリンガル教育は、前身のフリースクール「龍の子学園」から十数年の経験を有し、東京大学、桜美林大学、慶応大学などの脳科学、バイリンガル教育、言語学の専門家の研究に支えられています。

公立ろう学校のなかでも2008年以来、明晴学園をモデルとしたバイリンガル教育への動きが次第に広まっています。こうした学校との交流を、明晴学園は活発に進めています。

バイリンガルから社会へ

バイリンガル教育は、教育の手段ではあっても、その目的ではありません。明晴学園の教育の目的は、一人ひとりの子どもが自立し、社会に参加し、自己実現に必要な力を身につけることです。

自立する力、生きる力、あるいは人間力ということもできるでしょう。

こうした力は、日常の暮らしや学校生活のさまざまな経験を通して、また家族や先生、友だちとの複雑な人間関係のなかで育まれます。それは聞こえても聞こえなくても、だれもがひとしく身につけるべき力でしょう。明晴学園の教育は、子どもたちが手話の環境のもとで聞こえる子と同等の、ときにはそれ以上の生きる力を持てるように、あらゆる学びの場と機会を作りだしています。

明晴学園の教育の基本的な枠組みについて、さらに詳しくお知りになりたい方はこちらをご覧ください。

手話の教育

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