評価
明晴学園はまったく新しい通知表を採用しています。
それは、子どもが自分で自分を評価するという通知表です。
子どもが自分自身の成長をふり返り確かめることを目的としているので、通知表とはいわず「記録」と呼んでいます。
記録の中身は、学校での生活態度や各教科の学習など、多岐にわたる項目についての子どもの評価ですが、そうした評価をどう進めるかはまず先生と子どもがよく話しあいます。そして子どもの一人ひとりが、具体的な目標に照らしてその学期の自分の評価をしてゆきます。このときキーポイントとなるのは、先生や親など他人からみてどうかではなく、あくまで自分で自分をみてどうだったかを判断するということです。 バイリンガル校なので、評価の項目や意味は日本語で書かれた一覧表を先生が手話で説明することにしました。そして子どもは手話で自分の考え方をまとめ、それをビデオカメラで撮影します。ビデオに写された手話の映像は日本語に直して書きこまれ、その学期の記録ができあがります。評価は準備から記録にいたるまで十分な時間がかけられ、その過程で先生は相談に乗ったりアドバイスをすることはあっても、評価そのものには立ち入りません。子どもの評価はあくまで子どもに任せます。
こうしてできあがった記録は、子どもの一方的な自画自賛になるのではないかとはじめはいくらかの懸念もありました。しかし実施してみると、たしかに甘いところもないわけではないのですが、厳しい自己評価がそこここにちゃんとまぎれこんでいます。きっと自分の評価を任せられた子どもは、自分自身に対していい加減になることができないのでしょう。子どもが自分で決める評価は、先生たちが胸のうちに描く評価とほとんど一致するというのがもうひとつの驚きです。
龍の子タイム
毎月一度、龍の子タイムという時間があります。幼稚部と小学部の全員が集会室に集まり、昼ごはんを一緒に食べながら劇を演じたり発表をしたり、デフゲストを招いて交流したりします。もともとはフリースクール「龍の子学園」の名前を残そうということからはじまった試みでした。いまでは全校交流の時間であるとともに、手話による表現を深め、ろう文化の習得を進める場ともなっています。
多くのろう児は学校を一歩出ると、通学路でも町のなかでも自宅でも、また遊びに出ても旅行に行っても、見わたすかぎり聴者に囲まれて暮らさなければなりません。そのなかで「ろうでもいいんだ」と思えるようになるためには、立派なおとなのろう者に触れる機会がぜひとも必要になります。龍の子タイムは、そのための時間でもあるのです。
マイスクール八潮
明晴学園の建物の3階には「マイスクール八潮」があります。品川区が運営する不登校の児童や生徒のためのスクールです。小学生から中学生のお兄さんお姉さんたちが通って勉強したり遊んだり、いろいろなことをしながらエネルギーを蓄え、学校にもどることを当面の目標にしています。
不登校といえば、明晴学園の子どもたちも多くが不登校でした。本来ならどこかのろう学校に在籍して通っていたはずなのに、学校ではない学校、フリースクール「龍の子学園」に通っていたからです。いったんろう学校に通ったものの、手話が使えない環境に適応できず、不登校になった子が少なくありませんでした。
不登校の事情は多少ちがっていても、子どもたちはお互いにどこか通じあえるところがあるようです。一緒になった最初の日から、マイスクール八潮と明晴学園の子どもたちはなかよく遊びはじめました。そして気がつけばいつの間にか手話の単語がやりとりされ、子ども同士のコミュニケーションがはじまっています。マイスクール八潮の子どもたちは「ナチュラル・アプローチ」という、外国語習得の基本を自然に実践しているようです。
手話教室
ろう児はほとんどが聞こえる親、聴者のもとに生まれます。ろう児を手話で育てようと思っても、親は手話を知らず、はじめから覚えなければならないというケースがほとんどです。ところがろう児をもつ親のための手話教室はほとんど見当たりません。手話を覚えようにも、どうやって覚えればいいのか親はこれまで途方にくれてきました。
そんな保護者のために、明晴学園の一室でNPO「バイリンガル・バイカルチュラルろう教育センター」が定期的に手話教室を開いています。講師はもちろんろう者、それも手話教授法をマスターしたベテランです。聴者が日本手話を覚えるときのむずかしさをよく知った上で、ろう児を育てる親が身につけるべき手話をしっかりと教えてくれます。しかも手話教室を運営するスタッフはみなろう児を育てた親たち。手話だけでなく、ろう児の育て方も教えてもらえるのがこの手話教室の魅力でしょう。
補聴器と人工内耳について
明晴学園の子どもたちはだれも補聴器や人工内耳をしていません。しかし学校はそれを禁止しているわけでも、反対しているわけでもありません。明晴学園の前身のフリースークール「龍の子学園」には、補聴器をつけた乳児がよくやってきました。しかし手話の環境になじむと、子どもたちは自然に補聴器を外すようになります。少なくとも明晴学園にきた子どもたちにとって、補聴器の音がもたらす情報はほとんど役に立たず、手話の明瞭さ、快適さとは比べものにならないという現実があったのでしょう。その現実から、だれいうともなく自然に子どもたちは補聴器を外していきました。あるいは、はじめから補聴器を使いませんでした。
ろう児がもし人工内耳をしていれば、また補聴器を使いつづけていれば、実用レベルの音声日本語を獲得できたかどうかは誰もわからない問題です。なにしろこの問題は、二重盲険法のような科学的に説得力のある研究手段をとりえない以上、原理的に解明不能だからです。「人工内耳をしていたからしゃべれるようになった」という子どもの報告があったとしても、「その子は才能があり、どっちみち人工内耳なんかなくてもしゃべれるようになった」という反論を否定することは難しいでしょう。さらにいうなら、「しゃべれること」を至上とする価値観は、「しゃべれなくても、手話があれば幸せ」という価値観によって相対化されてしまいます。
私たちのアプローチはこうです。手話を選ぶか、口話を選ぶか、補聴器をするか、人工内耳を装着するか、そうしたことのすべては、つまるところ親のためではなく、医学のためでもなく、ましてやろう教育のためでもなく、その子のためを考えて決めなければならないことでしょう。そしてなにが「その子のため」かを判断するのは、ほんとうに難しいことです。しかしそこで真に問われるのは、人工内耳の成績でも補聴器の性能でもなく、手話でも日本語でもなく、なにがその子にとって一番たいせつなのかを考える保護者自身の価値観であり、生き方であるということです。そうした価値観や生き方に照らし、悩み考えぬいた末に保護者がたどりついた結論は、それがどのようなものであれ私たちは尊重したいと思います。
校庭の芝
小学校の校庭にはめずらしい、みごとな芝生です。これは以前ここにあった品川区立八潮北小学校が維持してきたものでした。もともとは埋立地だったところを掘り起こし、土を入れ替えて植えられたということです。旧八潮北小学校と地域の「おやじの会」のみなさんが力を合わせ、何年もかけてここまで育ててきました。明晴学園になってからも、おやじの会のみなさんが引きつづき手入れに励んでくれています。
半円形
教室の座り方の基本は「半円形」です。先生がホワイトボードの前に立ち、子どもたちは先生を取り囲むように半円形に座りますが、もちろん先生の手話がみんなに見えるようにできた形でした。でもここでもっとだいじなのは、半円形にすると子ども同士がお互いの手話を読み取れるということです。明晴学園は子ども同士の活発な話しあいをなによりもたいせつにしているので、ときには先生抜きで子どもだけの議論がはじまります。これまでのろう教育は先生が中心になり、その先生から放射状に伸びる糸に子ども一人ひとりがつながっているイメージがありました。明晴学園では先生と子どもが複雑なネットワークでつながり、有機的な場を形成しようとしているというイメージがあります。
明晴学園ではすべての教室で廊下とのあいだの壁がありません。代わりにユニット式のロッカー箱でゆるやかな「仕切り」を作りました。開放教室は明るくのびのびした空間を演出していますが、本質的なねらいはろう児の視線を開放することです。"眼の子どもたち"は、廊下とのあいだに壁がないことで心理的な解放感と安心感を得ています。聞こえる子どもたちが教室のなかにいても音によって外界の情報を得ているのとおなじように、ろう児は解放された視線を楽しめるようになりました。ただし必要なときにはいつでも、教室と廊下とのあいだにはスクリーンを下ろすことができます。

明晴学園の玄関に1枚の絵があります。
北海道在住のろう者の画家、乘富秀人さんの作品、「日本・富士山・手話」です。明晴学園の開校を祝って2008年4月、学校に寄贈していただきました。全体の基調となる濃いブルーが、見るものの眼とこころを深い海の底に引き込むようです。その重いトーンに拮抗して、富士山の白い冠雪が輝いています。
冠雪の白い筋は5本。もちろん手と、手話を表しています。
乘富さんの作品には、指の先端が失われたかのような手がよく描かれています。抑圧され、禁止されてきた手話、聴者が奪いつづけてきた手話。それでもなお、手話はろう者の誇りであり、白い雪のように輝いています。ろう者の歴史が、この1枚の絵に凝縮されています。
ある日の職員会議です。授業はもちろん、職員会議も保護者との話も、校内ではすべての会話が日本手話で行われています。しかしここで注目していただきたいのは職員室の「作り」です。どこか聴者のオフィスとちがっていませんか? そう、机の上に本棚がないのですね。座っている人の視線をさえぎるものがない。だから職員室ではどの席からも全体が見え、だれとでも話ができます。デスクのまわりにすぐ壁を作る聴文化とは一線を画した、ろう文化の一こまです。
事務室と職員室の間も、壁の一部をなくしました。手前が事務室、窓枠の向こうに見えるのが職員室です。こうして壁の一部を窓にすると、開放感があるだけでなく、両方の部屋にいる教職員が自由に会話できるようになりました。手話ということばがとても有効に生かせる職場環境といえるでしょう。逆にいえば、一般企業などで働くろう者は、こうした環境にめぐまれず苦労しているかもしれません。
明晴学園では、どこの学校でも聞かれるチャイムの音がありません。代わりにあるのが「パトライト」。緑の色は授業時間の開始や終わりを告げます。このほか黄色と赤色のライトがあって、もし赤のライトがついたら火事などの非常事態、全員いっせいに避難することになっています。パトライトは教室だけでなく、階段や廊下など校舎全域に取り付けられました。学校を訪れた聴者は、この光の信号を見落し「情報弱者」とならないよう気をつけなければなりません。