評価
明晴学園はまったく新しい通知表を採用しています。
それは、子どもが自分で自分を評価するという通知表です。
子どもが自分自身の成長をふり返り確かめることを目的としているので、通知表とはいわず「生活の記録」と呼んでいます。
生活の記録の中身は、学校での生活のようすや各教科の学習などについての評価ですが、その評価をどう進めるかはまず先生と子どもがよく話しあいます。そして子ども一人ひとりが、たくさんある評価の一つひとつについて、その学期に自分がどこまでできたかを判断します。たとえば「忘れものをしなかったか」「毎日の生活で算数を使うようにしているか」といった中身について、できたかできなかったかを答えます。このときキーポイントとなるのは、先生や親など他人からみてどうかではなく、あくまで自分で自分をみてどうだったかを判断するということです。 評価の項目は、日本語で書かれた一覧表をまず先生が手話で説明します。そして子どもはその一つひとつについて手話で自分の考えをまとめ、ビデオカメラで撮影します。ビデオに写された手話は日本語に直して書きこまれ、その学期の記録ができあがります。評価は準備から記録にいたるまで十分な時間がかけられ、その過程で先生は相談に乗ったりアドバイスをすることはあっても、評価そのものには立ち入りません。子どもの評価はあくまで子どもに任せます。
こうしてできあがった生活の記録は、子どもの一方的な自画自賛になるのではないかとはじめは懸念もありました。しかし実施してみると、たしかに甘いところもないわけではありませんが、厳しい自己評価がそこここにちゃんとまぎれこんでいます。きっと子どもたちは、自分の評価を任せられたとき、自分自身に対しいい加減になることができないのでしょう。子どもが自分で決める評価は、先生たちが胸のうちに描く評価とほとんど一致しています。
マルチエイジ
明晴学園はマルチエイジ・クラスによる教育を進めています。マルチエイジとは、異なった年齢の子どもが一緒になってグループを作り学習する、という意味です。マルチエイジ・クラスが発達しているアメリカでは、3歳くらいの年齢差の子どもを一緒にし、3年間はそのクラスを維持し、おなじ担任が担当するというような形が提唱されているようです。
明晴学園では開校時から複式学級を作り、マルチエイジに近いクラスを作ってきました。いまも小学部の授業は、基本的に複式学級で行っています。また小学部全体を縦割りのグループにして、1年生から6年生までが混じったグループを作って活動する形をよくとっています。学習内容によっては単一学年のグループに分かれることもあり、授業や活動の内容によって自由に形を変えています。
マルチエイジはさまざまな利点があります。なにしろ少子化の時代ですから、年齢のちがった子どもがともに学び活動する機会は貴重です。そこで小さな子は大きな子を見習い、大きな子は小さな子のめんどうをみながら、複雑な人間関係のもとでともにもまれ、鍛えられ、人間的に成長します。親子関係、先生と子どもの関係では期待し得ない問題の解決力が生まれ、応用されるのです。
マルチエイジは学習面からはマイナスではないのかという心配もありました。しかし本家アメリカではほとんどそのような指摘はなく、明晴の場合も実感として上の子の学力が遅れるという感触はありません。むしろ下の子に教えることで理解が進み、意欲も増すという効果が得られています。

龍の子タイム
毎月一度、龍の子タイムという時間があります。全校の幼児児童生徒がいっしょになり、昼ごはんをともにしながら、劇を演じたり発表をしたり、デフゲストを招いて交流したりします。もともとはフリースクール「龍の子学園」の名前を残そうということからはじまった行事でした。いまでは全校交流の時間であるとともに、子どもたちがろう児としての一体感を強め、ろう文化の習得を進め、また手話による表現を深めるための場ともなっています。
多くのろう児は学校を一歩出ると聴者の社会に入り、聴者に囲まれて暮らします。そのなかで「自分はろうでもいいのだ」と思えるようになるためには、自己の確立とともに、仲間とのしっかりした連帯感、そしてロールモデルとなるおとなのろう者との出会いが必要です。龍の子タイムは、そのための時間でもあるのです。
マイスクール八潮
明晴学園の建物の3階には「マイスクール八潮」があります。品川区が運営する不登校の児童や生徒のためのスクールです。小学生から中学生のお兄さんお姉さんたちが通って勉強したり遊んだり、いろいろなことをしながらエネルギーを蓄え、学校にもどることを当面の目標にしています。明晴学園にやってきた訪問者は、行きあう子どものきれいな日本語に驚くことがあるかもしれませんが、それはマイスクールの子どもたちです。
不登校といえば、明晴学園の子どもたちのなかにも不登校だった子がいます。いったんは地元のろう学校に通ったものの、そのろう学校になじめず「手話の学校」にやってきた子どもたちです。そしてだれもがここで、本来の自分を取りもどしました。
不登校の理由はさまざまでも、なかには積極的な意味のある場合もあります。明晴学園の子どもたちとマイスクールの子どもたちは、よくいっしょになって遊んでいます。聞こえても聞こえなくても、おとなが介入しなければ子どもたちは自然に「ただの友だち同士」になることができるようです。
手話教室
ろう児はほとんどが聞こえる親、聴者のもとに生まれます。ろう児を手話で育てようと思っても、親は手話を知らず、はじめから覚えなければならないというケースがほとんどです。ところがろう児をもつ親のための手話教室はほとんど見当たりません。手話を覚えようにも、どうやって覚えればいいのか親はこれまで途方にくれてきました。
そんな保護者のために、NPO「バイリンガル・バイカルチュラルろう教育センター」が定期的に手話教室を開いています。講師はもちろんろう者、それも手話教授法をマスターしたベテランです。聴者が日本手話を覚えるときのむずかしさをよく知った上で、ろう児を育てる親が身につけるべき手話をしっかりと教えてくれます。しかも手話教室を運営するスタッフはみなろう児を育てた親たち。手話だけでなく、ろう児の育て方も教えてもらえるのがこの手話教室の魅力でしょう。
補聴器と人工内耳について
明晴学園の子どもたちはだれも補聴器や人工内耳をしていません。しかし学校はそれを禁止しているわけでも、反対しているわけでもありません。明晴学園の前身のフリースークール「龍の子学園」には、補聴器をつけた乳児がよくやってきました。しかし手話の環境になじむと、子どもたちは自然に補聴器を外すようになります。少なくとも明晴学園にきた子どもたちにとって、補聴器の音がもたらす情報はほとんど役に立たず、手話の明瞭さ、快適さとは比べものにならないという現実があったのでしょう。その現実から、だれいうともなく自然に子どもたちは補聴器を外していきました。あるいは、はじめから補聴器を使いませんでした。
ろう児がもし人工内耳をしていれば、また補聴器を使いつづけていれば、実用レベルの音声日本語を獲得できたかどうかは誰もわからない問題です。なにしろこの問題は、二重盲険法のような科学的に説得力のある研究手段をとりえない以上、原理的に解明不能だからです。「人工内耳をしていたからしゃべれるようになった」という子どもの報告があったとしても、「その子は人工内耳なんかなくてもしゃべれるようになった」という反論を否定することは難しいでしょう。補聴器や人工内耳などない時代でも、はっきりとしゃべれるようになった子が実在したのですから。さらにいうなら、そうした「しゃべること」を至上とする価値観は、「しゃべれなくても、手話があれば幸せ」という価値観によって相対化されてしまいます。
私たちは、多くの聞こえない子どもはまず手話を身につけるべきだと考えています。なぜなら手話は、子どもが生まれたその日から話しかけることのできる言語だからです。そして聞こえない子が、いちばん自然に身につけることのできる言語だからです。手話というアプローチによって、聞こえない子は1歳前後からひとつのしっかりとした自然言語を使いはじめ、親や家族とコミュニケーションを取り、自然な発達の途につくことができます。
補聴器や人工内耳の世界は、ことばではなく音を獲得することに専念するあまり、言語の習得が遅れ、あるいは不十分になるという本質的な問題があるのではないでしょうか。補聴器や人工内耳はメガネとはちがいます。それで聞こえない子が聞こえる子になるわけではないのです。
手話は、生まれたその日からはじめることのできる言語です。いったん手話をおぼえ、そのあとでさまざまな状況を考えながら、それが必要と判断したときに補聴器や人工内耳を選択することもできます。まず手話を、そしてそのあとで「そのまま手話」か、「人工内耳への切り替え」かを選択する。これが、より自然な子育てではないでしょうか。少なくとも、言語習得という点からみればそういえます。
校庭の芝
小学校の校庭にはめずらしい、みごとな芝生です。これは以前ここにあった品川区立八潮北小学校が維持してきたものでした。もともとは埋立地だったところを掘り起こし、土を入れ替えて植えられたということです。旧八潮北小学校と地域の「おやじの会」のみなさんが力を合わせ、何年もかけてここまで育ててきました。明晴学園になってからも、おやじの会のみなさんが引きつづき手入れに励んでくれています。
半円形
教室の座り方の基本は「半円形」です。先生がホワイトボードの前に立ち、子どもたちは先生を取り囲むように半円形に座ります。もちろん先生の手話がみんなに見えるようにできた形ですが、こうすることで子ども同士もお互いの手話を読み取れることができます。明晴学園は子ども同士の活発な話しあいをたいせつにしているので、半円形のなかではときに先生抜きで子どもだけの議論も起こります。これまでのろう教育は先生が中心になり、その先生から放射状に伸びる糸に子ども一人ひとりがつながっているイメージがありました。明晴学園では先生と子ども、子どもと子どもが網の目のようなネットワークで結ばれています。
開放教室
明晴学園の多くの教室には廊下とのあいだの壁がありません。代わりにユニット式のロッカー箱でゆるやかな「仕切り」が作られています。開放教室は明るくのびのびした空間を作り出し、ろう児の視線を開放しています。“眼の子どもたち”は、廊下とのあいだに壁がないことで心理的な解放感と安心感を得ているのです。
開放教室だと、廊下を通る人や外の景色が見えて気が散るというのは聞こえる人の感覚でしょう。ろう児は目に入ってくる情報を、必要なものとそうでないものと自動的に振り分ける能力が高く、聴者ほどには気にならないようです。むしろ閉鎖空間におかれたほうがストレスを感じています。
とはいえ開放教室も廊下との間にはロールスクリーンが設置されていて、DVD映像を見るために暗くするときなどは、スクリーンを下ろすことができます。

デフ・アート
明晴学園の玄関に1枚の絵があります。
北海道在住のろう者の画家、乘富秀人さんの作品、「日本・富士山・手話」です。明晴学園の開校を祝って2008年4月、学校に寄贈していただきました。全体の基調となる濃いブルーが、見るものの眼とこころを深い海の底に引き込むようです。その重いトーンに拮抗して、富士山の白い冠雪が輝いています。
冠雪の白い筋は5本。もちろん手と、手話を表しています。
乘富さんの作品には、指の先端が失われたかのような手がよく描かれています。抑圧され、禁止されてきた手話、聴者が奪いつづけてきた手話の歴史を表しています。それでもなお、手話はろう者の誇りであり、白い雪のように輝いています。
ろう者が描くデフ・アートは、乘富さんの絵だけでなく、いろいろな作品が手話教室などに飾られています。
職員室
授業はもちろん、職員会議も保護者との話も、校内ではほとんどが手話で行われています。校舎のなかは、そのためにあれこれ改修されました。職員室も、一般的な職員室とちょっとちがいます。机の上に大きな本棚などがなく、見通しがきくのでどの席からも全体が見え、だれとでも話ができます。もうひとつ、ふつうのオフィスとちがうところがあります。電話機がほとんどないことです。ウェブ・カメラの対話が進むと、この風景も若干変わることでしょう。
事務室と職員室の間も、壁の一部をなくしました。壁の一部を窓にしたので、開放感があるだけでなく、両方の部屋にいる教職員が自由に会話できるようになりました。手話ということばが使いやすい職場環境といえるでしょう。逆にいえば、一般企業などで働くろう者は、こうした環境にめぐまれず苦労しているのではないでしょうか。
パトライト
明晴学園では、どこの学校でも聞かれるチャイムの音がありません。代わりにあるのが「パトライト」。緑の色は授業時間の開始や終わりを告げます。緑のほかに、黄色と赤色のライトもつくようになっていて、黄色は教職員の呼び出し用、赤のライトは火事などの非常事態に点滅し、この場合は全員いっせいに避難することになっています。パトライトは教室だけでなく、階段や廊下など校舎全域に取り付けられました。学校を訪れた聴者は、この光の信号を見落し「情報弱者」とならないよう気をつけなければなりません。