明晴学園トップページシンポジウムトップ>記念講演

記念講演

バイリンガル・バイカルチュラルろう教育シンポジウムのメイン・イベントとなる記念講演は、2009年2月28日午前10時15分から東京品川区の品川区立総合区民会館「きゅりあん」7階イベントホールで開催された。

演者はカナダから来日したオンタリオ州立ろう学校(3校)総括校長(ASLカリキュラムおよびバイリンガル・バイカルチュラル・プロジェクト総括)のヘザー・ギブソン氏。ギブソン氏は1時間50分にわたる講演と質疑応答のなかで、オンタリオ州のバイリンガルろう教育の歴史と実績を紹介、自らバイリンガルろう学校の校長として教育実践にあたった経験から多くの興味深い知見や論点を紹介した。

この講演はアメリカ手話(ASL)で行われた。ASLをいったん英語に翻訳し、英語を日本語に、その日本語を日本手話(JSL)に翻訳し、聴者ろう者がともに聴講した。

以下はその要約である。

へザー・ギブソン氏記念講演要約

パラダイムの転換を

カナダ・オンタリオ州のバイリンガル・バイカルチュラルろう教育についてお話する。

ろう教育には一般的な枠組みがあるかのように考えられているかもしれないが、これをバイリンガル・バイカルチュラル教育という枠組みで考えるようにパラダイムシフトすることが必要だ。きょう話すのはろう教育ではない。バイリンガル・バイカルチュラルであり、これらはまったく別のものだ。

私が統括校長をしている3つのろう学校は、オンタリオ州立学校であり、ASLの使用についても州政府の規制の下にある。これらの学校でASLが使えるようになったのはオンタリオ州のろう協会の努力があったからで、その努力を讃えたい。ろう協会はそれまでのろう教育に満足していなかった。トータルコミュニケーションによって、ろう教育には大きな問題が起きていたからだ。きちんとした教育を受けないままに、またASLも十分でないままにろう学校を卒業する生徒が大量に輩出されていた。ろう協会は政府に働きかけ、1993年7月27日、ASLを授業言語として取り入れることを定めた法律を制定させた。

法律が制定されたことにより、バイリンガル・バイカルチュラル政策文書が作成され、バイバイ教育が可能になった。法律は1993年に成立したが、実践につながるプログラムは1999年にできあがった。法律ができただけで教育はできない。法の下の規則が必要になるが、それができるまでに14年かかった。

1993年から97年の間をみると、私たちの生徒の英語力、ASL力は十分なものではなかった。私たちはなにが問題なのかを検証した。そしてわかったのは、ASLを使ってはいたけれど、言語としてみてはいなかった、言語としてのASLのプログラムが組まれていなかったということだった。

第1言語の重要性

国際的な研究のなかに、役に立つものがあった。それは言語だけでなくリテラシーを同時に発達させるということ、これが第1、第2言語の習得に必要だということである。これが言語的、認知的発達にたいへん役に立つ。両方の言語で学習が継続していること、第1言語の習得がしっかりしていることが第2言語の習得に非常に重要だとわかった。

これまでは、第1言語は生活言語として使われ、第2言語は学習言語として使われるという考え方があった。しかし私たちはASLと英語がともに学習言語として使われる必要があると考えている。そのための変更が必要だった。過去にキャサリンという人が行った英語とスペイン語の研究によれば、スペイン語を第一言語として習得した子どもたちはスペイン語をたんに生活言語として用い、第2言語の英語で読み書きをするというような指導を受けていると、混乱して十分な学習ができないとわかった。第1言語のスペイン語でもきちんとした読み書き能力を育てる教育を継続し、同時に英語の読み書きを学ぶことが必要なのだ。そのことを申しあげるために、私はきょうここにきた。

このことは日本手話と日本語についてもいえると思う。片方は会話のため、片方は学習言語としてというように区別しているとうまくいかない。本当のバイリンガル・バイカルチュラル教育を目指すなら、双方において学問学習レベルに高め習得していく必要がある。

言語計画にもとづくカリキュラム

1999年にASLカリキュラム・プログラムが作られなければならないということが認識された。ASLについては使われてはいたが、カリキュラムを作る必要があるということまでは認識されていなかった。そのプログラムをつくるプロジェクトがはじまったが、そのために言語政策、言語計画というものをしっかりと学ばなければならなかった。

ASLを学習学問の言語として教育のなかに実践していくためには、また本当の意味でのバイリンガル教育を取り入れていくためには、しっかりとした言語計画にもとづくプログラムが必要だった。

言語計画のなかの地位計画は、政府によって規定されている部分だ。ASLを授業言語としてどのように取り入れていくのか、またASLを学習の対象とすることをどのように授業のなかに取り入れていけるのかを政府がいろいろな形で規定している。また言語計画においては、どのようなリソースが使用できるかも考えなければならない。たとえばきちんとしたASLの辞書やカリキュラム、ビデオなどの視覚教材や教師に対する研修などがリソースになる。またカリキュラム・コーディネータも重要だ。こうしたものが生徒の言語とリテラシーの習得に結びついていく。こうしたリソースと実践の間のギャップを埋めていくことが重要だった。

言語計画のなかには態度計画というものがある。これは学校にかかわるすべての人が共通のビジョンをもっているかどうかを問う。ASLが宙に浮いているのではなく、しっかりとしたプログラムとして定着しているかどうかは、そこで学ぶ子どもたちに影響する。

言語政策には枠組みがある。まず最初に公用語が政府によって定められている。カナダの場合は英語とフランス語。フランス語圏ではケベック手話、LSQというものがある。このようなところで、リソースと実践、カリキュラムの間をどうつなげていくか、研究が重要になる。

私たちの学校で教えている教師は、ほとんどがろう教育について学んでやってくる。本来なら大学でバイリンガル・バイカルチュラル教育について学んでくることが必要なのだが、そういう教育が大学ではまだおこなわれていない。そこでろう教育を学んできた先生はそれらをいったんすべて捨て、頭を切り替えてもらわなければならない。

英語のカリキュラムはたくさんあったが、ASLのカリキュラムは存在しなかった。リソースはたくさんあったのだが、それをカリキュラムに組み込んでいく方法がなかった。カリキュラムを作っていくにあたり、その評価をする仕組みも存在しなかった。これは大きなチャレンジだった。

手話を学習言語に

カンガスがいっていることだが、言語を日常の会話で使うだけではバイリンガルにならない。本当のバイリンガルのためには、その言語そのものを学習研究の対象にすることが必要だ。

生徒たちは学校を出て歩き始める前に、一定の技術や知識を身につけることが必要となる。日常言語としてのASLと学習言語としてのASLのあいだに大きなはギャップがあった。生徒たちはASLの文学を鑑賞したり、広い領域のものに触れることがなかった。ASLはふだんの生活のなかでだけ使われる言語だった。ジム・カミンズによれば、第1言語を日常言語にとどめることなく、学習言語にまで高めなければ第2言語においておなじレベルに達することはない。だから第1言語も第2言語もともに弁別的なレベルにまで達する必要がある。そこでは先生たちがそのレベルに達していて、モデルにならなければならない。ASLで複雑な構文を使い、抽象的な思考を進め、指示対象もさまざまなものを使い、ASL文学を文学として紹介できる力をもっている必要がある。そのような教師、カリキュラム、教材が必要だ。

英語についてはすでに強力なカリキュラムができている。大事なのは、全体から個別のことに移っていくということだ。

英語の学習にあたっては、まず先生と生徒が十分にかかわる必要がある。それだけでは十分ではなく、生徒たちはいろいろな経験に触れながら学習していくことが必要。

ASLから英語へ

ASLに関しても生徒たちは音韻的に分析する力をもっていなければならない。その例を示すが、たとえば位置の例。考える、論理的、抽象的というように位置によって意味が変わる。そのような手話を見ることで、生徒たちはストラテジーを身につけていく。たとえば頭の位置で表出される手話は考えること、論理的な思考に関係がある、つまり脳の思考に関係するというふうに位置と手話をとらえていく。これは直接指導と呼ばれる。これまで生徒はASLをそのように見ることができなかった。先生たちは生徒がリテラシーも身につけた本当のバイリンガルに育つよう、たとえばこのような指導方法も身につけていなければならない。

第7学年の例でいえば、先生が生徒に、何が名詞で何が動詞か指導する。名詞と動詞を区別するものは運動と保持だ。英語とASLにおける名詞と動詞を示そう。たとえば飛行機、これは名詞。動きがあると動詞、飛ぶになる。名詞と動詞のちがいに生徒たちはあまり気がついていなかった。次の例、短いのが椅子、名詞、長いのが座る、動詞。ASLで名詞と動詞の区別があることがわかるようになると、生徒は英語でもおなじようなちがいがあるのかと聞いてくる。先生は、英語は長さのちがいではなく、語尾の変化など、ASLとはちがうことを説明できるようになる。このカリキュラムは小学5年から導入するものだ。

つぎにメタファーの例。手の裏を示す手話のメタファーを生徒たちに示す。そしてメタファーがどういうものかの概念を理解してもらい、また実際にメタファーがどのように使用されるかに発展させていく。いろいろな戦略を教えるのだ、たとえばサスカチュワン州の手話を教えるとき、サスカチュワンをバラバラにして分析的に見ていく。

そしてつぎにASLのメタファーが英語のメタファーと似ているのかいないのかといったことを学んでいく。この手話は非常に怒っている、激怒しているという手話、そしてもっと怒っているという手話、手の位置が変わっているが、それがASLのメタファー。こうしたメタファーを理解し適切に使うことによってより説得力のある語りをすることができるようになる。しかし英語の場合メタファーはまったく別なものだ。そのことで子どもたちは英語とASLはまったく別のものであることを学習する。これは4回か5回の授業で学んでいくことだが、ASLのメタファーがどのようなものかをしっかり学んでいれば英語についてもおなじようなものがあるだろうということは容易に理解できる。

ASLカリキュラムが導入された最初の1年はこの指導があまりうまくいかなかった。いまはうまくいって子どもたちはこのプログラムを習得している。

ここまででわかるように、第1言語の習得がしっかりしていれば第2言語の習得は非常に楽になるということだ。重要なのは頻繁に評価を行うということ。もし教師が評価を頻繁に行っていなければ私は心配しなければならない。評価はしっかりした学習計画に沿ってさまざまな形で行われなければならない。

リテラシーの重要性

言語とともに重要なのがリテラシー、これを私たちは重要な指導課題としている。ここで森田さんに壇上に上がってもらい、日本手話でのポエムをしてもらう。リテラシーのなかでも機能レベルのことについては、ずっと高校3年までつづけているが、これまでのろう教育はこの機能的なリテラシーにしか注目していなかった。だから高校3年を卒業しても真の意味でのリテラシーが身につかなかった。機能リテラシーの例として雪という手話をとってみると、子どもたちは雪という手話しか教わらない。しかしリテラシーには文化的な側面、学問レベルでの分析的な側面がある。では森田さんに文化的側面を取り入れた「雪」をしてもらう。(森田、雪の機能的でない、文化的、詩的表現)

いまのはすばらしい詩だが、これをすばらしいだけで終わってはならない。分析的に見なければいけない。子どもたちはこの手話詩を手話の4つのパラメータに沿って分析していかなければならない。

このように分析することで、批判的にみるということができるようになる。表現者はどのようなことを考えていたのか、どのような気持ちだったのか、このようなことを4歳児に聞いてみると、やわらかい、やさしい感じだったと返事をしてくれる。このように批判的、分析的なリテラシーを身につけるのは、3歳か4歳からはじめなければならない。

リテラシーを身につけるということは、社会に貢献できるということだ。子どもたちが真の意味でのリテラシーを身につけていれば、批判的な思考が可能になる。批判的、分析的に見ることができなければ社会に貢献はできない。

常に評価が必要

私たちのASLカリキュラムのなかにはベンチマーク、基準点が設けられている。子どもたちの言語的発達は継続的に観察される。州の到達基準に達していないレベル1からすばらしい水準のレベル4まで、4段階での評価が行われる。

ASLカリキュラムを作るとき、一番重要なことは学校のすべての人が共通の目標に向かっているということだ。私たちは最初に5年間の目標を作った。その目標から次の5年間の目標が見えてきた。またその目標は常に検討し直している。

最初の3、4年は評価ということをあまりしていなかった。順調に進んでいると思っていたが、そうではない、子どもたちの身についていないということが3、4年たってわかってきた。評価というのはつねに行っていなければいけない。私たちは自然言語の発達についてのチャートをもっていて、それに見合った発達が達成されていない場合、その原因を探す。また評価にはいくつかの種類を使わなければならない。そうしないと生徒の全体像をつかめない。また評価のしかた自体もまだ実験的なところがあり、進行中だ。

バイリンガル教育についてきょうお話ししたのはまだ途中のところで、完成したといえるところにいたるまでには25年くらいかかるのではないかと思っている。最大の目標は生徒たちのリテラシーが十分に発達していくことだ。

パネルディスカッションのレポートを是非ごらんください